ここには小さなお話とか、ちょっとした日記とかお知らせを置いてます。
現在、アットメイドにてシナリオ鋭意執筆中!
よろしくお願い申し上げます。
もうあれから15年か……。
てことは当時は28歳か。
僕は大阪から神戸に戻っていた。
まだ6畳一間の風呂なしアパートの2F、賃料3.5万に住んでたな。
その日その時、僕は某週刊少年誌の小さい賞もらってて、
担当さんに送るために新作漫画の下書きを描いてたんだよ。
あの担当さんは漫画界の赤い核弾頭の初代編集長になって
その後どうしたんだろ。今でもそのセンスは生きてるけども。
そんなあの日。
深夜に突然、遠くでどーんって音がしたんだ。
それまでアニメや映画でしか聞いた事ない音。
爆発音、って言うか。
次の瞬間、地鳴り。
ホントにゴゴゴっていうんだ。
やっすいボロアパートは揺れた。
いや、揺れたなんてもんじゃない。
回転した。洗濯機の中みたいに。
急いで僕はコタツの中に入った。
少しして音が変わる。
低いごうごうという音は消えて、
ゆっさゆっさって地面の、世界の揺れる音に。
僕は叫んでいた気がする。
うわあって情けなく。
やがて静まった。
でも、揺れが収まったって感じがしなかった。
揺れ続けてる感覚がずっとあった。
それでもコタツから出ると、
本棚は倒れて本が散らばってて、机も移動してて。
でもそれ以外、ものがなかったから助かったところもある。
部屋も壊れてなかった。窓も割れてない。
あれはラッキーだったな。
僕は空が赤いのを窓から見て、外に出てみることにした。
安普請の鉄の階段も外れてなかった。
カンカンと高い音を立てて降りると、
僕の原付バイクが壊れたブロック塀の下敷きになってた。
起こす気力はなかった。
道の方へ出ると、やっぱり空が赤い。
あっちこっちで火の手が上がってた。
まるで父母から聞いていた戦中の様子だ。
焼夷弾が町にバラ蒔かれたっていう状況。
すぐに近くの実家のほうへ向かう。
実家には母が一人住んでいた。
父は遠くの病院にいたから、詳細は解らない。
携帯電話のない時代だ。
この震災をきっかけに
携帯電話が急速に普及するんだ。
実家は半壊していたが母は大丈夫だった。
とにかく、僕の住んでいたアパートに
連れてきて寝かせた。
次に近所に住んでいた友達が心配になって
家まで行ってみたら、彼の家はそこまで破損してなかった。
大きいからしっかりしてたんだろう。
その後、彼と町中を彷徨した……はず。
記憶は曖昧だ。
なぜ、さまよったのか。
誰かを助けようとしたのか?
いや、理由は解らない。
とにかく世界が一変したのが本当なのか、
どうすればいいのか、理解しようとしたのかも知れない。
JR灘駅近くの鉄道の上を通る橋で町を見下ろすと
そこは火の海だった。
町中一面、燃えている。
あれは忘れられない光景だ。
電気のない夜が2日くらいあったかな。
真っ暗で本当に静かで。
冬の夜の、壊れた街の静けさ。
ネズミはもちろん、野良の猫や犬、スズメやカラス、
虫さえいなくなってたからなぁ。
生き延びた人も大抵は避難所に居たみたいだったし。
だから生き物の気配さえない静けさだった。
昼は昼で、車も走ってないし、やっぱり静かだった。
天気が無闇に良くてさ、青い空に雲が綺麗で。
ああ、こんな酷いことがあっても
全然、世界には関係なくて
勝手に時間は流れて行くんだなって思った。
トイレが壊れてたのは痛かったな。
役所にわざわざ行かないとダメで。
そんなある日の夜中、役所にトイレを借りに行くと
フロアに頭までファスナーを閉められた白い寝袋が
ずらっと並んでた。
あれはきっと亡くなった方々だったんだろうな。
身元不明でも、もちろん放置なんか出来ない。
人道的に当然のこと。
それとその頃にはもう、
カラスやネズミなんかが戻って来てたし。
情報は全然、入って来なかった。
まだネットなんか全然、普及してなかったし。
パソコン通信とか言われてたな。
Windows95も発売されてなかったんだよ。
その年の年末に発売だから。
電気が戻って、テレビで見て初めて
これは酷い事になってるな、って実感したもの。
被災地にいるとホント、何も出来ないし
何も解らないんだよね。
もちろん物資配給の手伝いは出来るけど、
瓦礫の下の人を助けるのは素人には無理だし、
だいたいの人は放心したりして
どうすればいいのか、訳が分からなくなるんだ。
……もうあれから15年。
父母も亡くなって、僕も結婚して、色々……
それでも僕は生きてる。
てことは当時は28歳か。
僕は大阪から神戸に戻っていた。
まだ6畳一間の風呂なしアパートの2F、賃料3.5万に住んでたな。
その日その時、僕は某週刊少年誌の小さい賞もらってて、
担当さんに送るために新作漫画の下書きを描いてたんだよ。
あの担当さんは漫画界の赤い核弾頭の初代編集長になって
その後どうしたんだろ。今でもそのセンスは生きてるけども。
そんなあの日。
深夜に突然、遠くでどーんって音がしたんだ。
それまでアニメや映画でしか聞いた事ない音。
爆発音、って言うか。
次の瞬間、地鳴り。
ホントにゴゴゴっていうんだ。
やっすいボロアパートは揺れた。
いや、揺れたなんてもんじゃない。
回転した。洗濯機の中みたいに。
急いで僕はコタツの中に入った。
少しして音が変わる。
低いごうごうという音は消えて、
ゆっさゆっさって地面の、世界の揺れる音に。
僕は叫んでいた気がする。
うわあって情けなく。
やがて静まった。
でも、揺れが収まったって感じがしなかった。
揺れ続けてる感覚がずっとあった。
それでもコタツから出ると、
本棚は倒れて本が散らばってて、机も移動してて。
でもそれ以外、ものがなかったから助かったところもある。
部屋も壊れてなかった。窓も割れてない。
あれはラッキーだったな。
僕は空が赤いのを窓から見て、外に出てみることにした。
安普請の鉄の階段も外れてなかった。
カンカンと高い音を立てて降りると、
僕の原付バイクが壊れたブロック塀の下敷きになってた。
起こす気力はなかった。
道の方へ出ると、やっぱり空が赤い。
あっちこっちで火の手が上がってた。
まるで父母から聞いていた戦中の様子だ。
焼夷弾が町にバラ蒔かれたっていう状況。
すぐに近くの実家のほうへ向かう。
実家には母が一人住んでいた。
父は遠くの病院にいたから、詳細は解らない。
携帯電話のない時代だ。
この震災をきっかけに
携帯電話が急速に普及するんだ。
実家は半壊していたが母は大丈夫だった。
とにかく、僕の住んでいたアパートに
連れてきて寝かせた。
次に近所に住んでいた友達が心配になって
家まで行ってみたら、彼の家はそこまで破損してなかった。
大きいからしっかりしてたんだろう。
その後、彼と町中を彷徨した……はず。
記憶は曖昧だ。
なぜ、さまよったのか。
誰かを助けようとしたのか?
いや、理由は解らない。
とにかく世界が一変したのが本当なのか、
どうすればいいのか、理解しようとしたのかも知れない。
JR灘駅近くの鉄道の上を通る橋で町を見下ろすと
そこは火の海だった。
町中一面、燃えている。
あれは忘れられない光景だ。
電気のない夜が2日くらいあったかな。
真っ暗で本当に静かで。
冬の夜の、壊れた街の静けさ。
ネズミはもちろん、野良の猫や犬、スズメやカラス、
虫さえいなくなってたからなぁ。
生き延びた人も大抵は避難所に居たみたいだったし。
だから生き物の気配さえない静けさだった。
昼は昼で、車も走ってないし、やっぱり静かだった。
天気が無闇に良くてさ、青い空に雲が綺麗で。
ああ、こんな酷いことがあっても
全然、世界には関係なくて
勝手に時間は流れて行くんだなって思った。
トイレが壊れてたのは痛かったな。
役所にわざわざ行かないとダメで。
そんなある日の夜中、役所にトイレを借りに行くと
フロアに頭までファスナーを閉められた白い寝袋が
ずらっと並んでた。
あれはきっと亡くなった方々だったんだろうな。
身元不明でも、もちろん放置なんか出来ない。
人道的に当然のこと。
それとその頃にはもう、
カラスやネズミなんかが戻って来てたし。
情報は全然、入って来なかった。
まだネットなんか全然、普及してなかったし。
パソコン通信とか言われてたな。
Windows95も発売されてなかったんだよ。
その年の年末に発売だから。
電気が戻って、テレビで見て初めて
これは酷い事になってるな、って実感したもの。
被災地にいるとホント、何も出来ないし
何も解らないんだよね。
もちろん物資配給の手伝いは出来るけど、
瓦礫の下の人を助けるのは素人には無理だし、
だいたいの人は放心したりして
どうすればいいのか、訳が分からなくなるんだ。
……もうあれから15年。
父母も亡くなって、僕も結婚して、色々……
それでも僕は生きてる。
えー、そんなわけでわたしゃ今日も家で
ほそぼそと仕事してますが……
皆様、良いお年をー。
ほそぼそと仕事してますが……
皆様、良いお年をー。
えーと、一日数時間睡眠でがんがるわたしですが
冬コミにアットメイドが出ます。
W23b
だそうです。よろしくです。
わたしは行けないわけですが、よろしくお願いします。
大事なことなので二回言いました。
冬コミにアットメイドが出ます。
W23b
だそうです。よろしくです。
わたしは行けないわけですが、よろしくお願いします。
大事なことなので二回言いました。

